那須塩原に暮らす人

夢のために一歩踏み出せるまち。パン職人 平山翔さん

プロフィール 那須塩原市出身。30歳までには自分のお店を持ちたいという夢。カフェに勤めながら、パン作りを学ぶ。市内の人気ベーカリーの立ち上げに関わり、パン職人として働いた後、30歳を機に独立。ショウパンアルティザンベイクハウス店主。

 

職人から直接買える店
お店全体で美味しさを表現

“パン職人から直接パンを買えるパン工房”がコンセプトです。売り場やパンの並んでいるところと、パンを作っているところの距離をできるだけ近くしたお店になっています。お酒の蔵元って、その作っている銘柄を作り手から直接買えるじゃないですか。そんな感じで、フレンドリーな雰囲気がでるようにお店作りをしています。

記憶に残る美味しさは味だけではなく、お店全体を含めてなんだと思っています。お店のスタッフ、雰囲気、空気感など、それらを含めて美味しさなんです。

 

逢いたいと思った農家さんから
国産小麦を直接仕入れ
小麦農家の想いをパンに

 

 

パン一つ一つにこだわりはあるんですが、それをセールスにはせず、パンを買う日常の中で感じてもらいたいと思っています。あえてあげるとすると国産小麦が100%です。そして、自然界に存在する酵母菌、いわゆる自家培養酵母を3種類くらい駆使してバラエティあるパンを作っています。

自家培養酵母の特徴の一つは普通のイースト菌に比べると発酵力が弱いことです。ですので、発酵には少し時間がかかります。もう一つは天然の酵母は安定していないんです。刻々と状態が変わります。酵母のご機嫌を取りながら、様子を見ながら毎日同じクオリティのパンを作ることは難しいです。

小麦も生産者さんから直接仕入れています。専門誌などに掲載されている方や、話を聞いたりして、逢ってみたい小麦農家さんがいると連絡をして直接逢いにいきます。そこで、さまざまなやり取りをして、その小麦を使ってみたいと思った人からしか仕入れないようにしています。

栃木産でいうと上三川のライ麦を使っています。まだまだ生産量が少ないのでこれからですね。でも生産者さんの負担にならないようにしています。

 

職人が一つ一つ手作りで作っている
“クラフトベーカリー”を知ってもらいたい。
パンを通して日本の魅力を世界に。

ここの場所に決めたのは、一番目に付きやすいところでやりたかったからです。それは、売上をあげるためじゃなく、なるべく多くの人にこの“クラフトベーカリー”を知ってもらいたかったから。しかも一から職人が手作りで作っているパン工房の存在を多くの人に気づいてもらいたかった。なるべく大きな交差点の近くで、目立つところで探したところここを見つけました。

世界を夢見てます。このお店のフランス店を出しますとかではなく、日本のいいところ、栃木のいいところをパンを通して世界に発信をしていくのが大きな目標です。海外に行くのが好きなので、ヨーロッパやアメリカ、アジアなどに出向いて職人さんとパンを通して交流できたらいいなというのが夢です。

そして日本のパンを作りたいと思っています。日本の素材を使った新しいパン。たぶん海外の人たちが思う日本のパンって、アンパン、メロンパン、カレーパンのようなものだと思うんですけど、そうではなくて、日本特有の素材、例えば酒粕とか、そういったものを使った新しいパンを作りたいと思っています。

※クラフトベーカリーとは、職人が手間を惜しまず素材や製法にこだわり、一から丁寧にパンを作っているパン屋のこと。

 

いつもそこある変わらない自然が
時間をゆっくりとしてくれる
自然と近い暮らしが那須塩原の魅力

写真が趣味です。那須塩原市の魅力の一つは自然が近いことだと思います。毎日仕事に追われて忙しく過ぎていきます。自然は四季折々変化をしますが、山とか川とか木とかがいつも変わらずそこにある。そういった動かないものって時間をゆっくり感じさせてくれます。休みの日は晴れていればカメラを持って自然が多い場所に出かけていきます。那須塩原市の魅力は、便利な都市部からでも、車で15分20分程度で自然が多く癒される地域にもいけることです。

また、東京には私自身、月に2、3回はいくようにしています。もちろん、パン屋さんに行くこともあるし、レストランに行くこともあります。パン教室を開催することもあります。東京から新幹線で70分という立地はすごく便利です。

 

夢を仕事にするということ。
周りの後押しが一歩踏み出す勇気に。

最初はカフェがやりたくて、高校を卒業して一般の企業に務めて2年間お金をためて、シアトルにいきました。ニューヨークやロスなどにも行って、気づいたんです。カフェだけじゃなくて、パン屋も廻っているなと。それはアメリカだけじゃなくて、青春18きっぷなどで日本縦断したときも気づいたらカフェだけじゃなくパン屋も廻っていたんです。

そして地元に戻ってきて、カフェをやりたかったので、SHOZO Coffeeさんに勤めて、コーヒー淹れたりケーキを作ったりしていました。そのころ趣味でパンを作っていて、しばらくして本格的にパンを作りたいと思ったんです。そして長野のパン屋さんに勤めました。23歳のころだったと思います。

1年後、再び那須塩原に戻ってきました。縁あって再びSHOZOさんに勤めました。その後、パン屋の立ち上げの話があって、そこでパンを作ることになったんです。そして30歳を機に独立をしました。

僕自身、お店を出す、一歩踏み出すことにはものすごく不安を感じていました。でも、周りは「きっと大丈夫」「買いにいくよ」と後押しをしてくれました。最初の一歩を踏み出すと、次の一歩につながってどんどん広がっていきました。

 

※お花などはボタニカルショップ「Dear,Folks & Flowers」樋爪さんの作品

 

 

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